2002オーストリア・スケッチ旅行記(第2週)
7月6日(土)

ザルツブルグは1泊で、次の目的地はチロル州の州都「インスブルック」です。朝目覚まし時計が鳴る前に目が覚めた私は、朝食前に荷物の準備をしていると、「ありゃー」腕時計が止まっているではないですか。日本なら直ぐに何処かで電池の交換が出来ますが、時間の無い海外旅行では、お店を探すのもままならない。・・・結局ウィーンに戻るまで目覚まし時計を使ってました。(旅行用ではないので少し大きめの目覚ましです) カッコ悪いので人が見てないときに確認してました。腕時計の電池交換はお早めに(笑)
お昼頃インスブルックに到着。さすが冬季オリンピックを2回開催した都市だけあって駅のホームからスキーのジャンプ台が見えます。ついにチロルにやって来ました。宿は、ガイドブックに載っていた黄金の小屋根という観光名所のすぐそばの宿です。1階2階がレストランになっていて私の部屋は3階でした。1泊51ユーロ、ここに2泊します。この日はインスブルックの街の観光とスケッチです。


高い山がすぐ側にそびえるインスブルックの街(市の塔から撮影)  宿の部屋から見えた市の塔
7月7日(日)

今日はインスブルック駅前から、シュトゥーバイタール・バーン(シュトゥーバイ谷行きの鉄道)に乗って、フルプメスと言う村に日帰りの旅。このシュトゥーバイタール・バーンは駅前から出ている路面電車で、運転手に確認して乗り込みました。街をぐるっと回った後、市電の営業所(車庫)のような所からグングンと坂を登っていきます。少しするとインスブルックの街が一望できます。さらに電車はどんどん登り、途中の駅で下りの電車と離合しながら美しい風景の中を進んで行き、終点「フルプメス」に到着です。この谷のさらに奥へ行くにはバスで行きますが私はこの村でスケッチ。
馬が数頭いる牧場の所でスケッチしていると村の人が歩いて来ました「グリュース・ゴット」と私は先に挨拶をします、村の人も「グリュース・ゴット」とニコニコしながら絵を見て行きます。近所の家の幼稚園くらいの女の子も「ハーロー」と言いながら見に来ました、やっぱり田舎はのどかです。 明日はエッツ谷のセルデンに向かいます(世界の車窓から、ふう)


フルプメスの民家 (どの家にも花が飾られている)
7月8日

インスブルックからスイスの方に向かって各駅停車で1時間、急行では約30分のエッタール(エッツタール)駅に行き、そこからバスで1時間谷を遡った所に「セルデン」の村があります。エッツ谷の最初の村が「エッツ」で最後の村がオーストリアで最標高の村「オーバーグルグル」です、「セルデン」はその少し手前の村です。
10:45分頃エッタール駅に着いた私は、まずバスの時間を確認します、11:15発、あと30分あります。同じ列車から降りた50代と思われるご夫妻のご主人に、このバスでセルデンに行けるか?などの話をしていました。ご夫妻は大きなリュックの登山の装備でしたので「山に登るのですか?」と聞くと、一緒に来ないか?と言います「いえいえ、私は装備を持ってないので」と言うと、「テスト、テスト」と言う、試しにちょっと登れと言うのだ、それでもお断りすると1度は諦めたようですが、また来て時間があるなら一緒に来ない?と誘って下さいました「いえいえ、私は絵を描きに来たので」と言うと、セルデンにはどの位居るかと聞くので「2日か3日です」と言うと、それは短い、私たちはこれから3週間山に居るのだと言います。やはり、バカンスの感覚が全然違うのですね。でも私がOKしたら本当に連れて行くつもりだったのでしょうか?・・・遠い日本から来た者に素晴らしい山々を見せたかったのでしょう、人の良い親切なご夫妻でした。バスの中でも滝が山の中腹から流れ出しているのを教えてくれたり、降りるバス停を教えてくれたりしました。セルデン郵便局前で更に谷の奥へ行く、ご夫妻の乗ったバスを見送ったあと・・・・・

次の日に乗ったリフトからの眺望

・・・・・「んー、何処へ行けばいいんだ?」この村の情報はガイドブックにはほとんど載っていませんし、Netでもあまり調べていなかったので、先ずはツーリスト・インフォメーションを探さなくては・・・川を渡って少し歩くと立派な建物に【i 】のマークがありました。自慢じゃないが初めてのツーリスト・インフォメーションです。中に入ると見目麗しい女性が迎えてくれました。2泊する民宿のリストをプリントアウトして地図と一緒に渡してくれ、後は自分で直接交渉せよとの事です。地図を見て一番近くの宿に行ってみましたが「ハーロー」と何度呼んでも人が出てこないので、諦めて次の宿へ。ドアを開けて呼ぶとおばさんが出てきましたがドイツ語オンリーです。おばさんは誰かを呼びました、娘さん?が出てきて英語が通じ、無事に2泊する宿を確保できました。トイレ・シャワー・朝食付(1泊)24ユーロ、やはり田舎は安い(スキー・シーズンは高くなるようです)。 この村は、夏はハイキング、また冬は大変多くのスキーヤーで賑わいます。その後、スケッチ道具を持って外へ、先ずはスーパーマーケットでお買い物です。パンとコーラとバナナを2本、果物などは必要な個数だけビニール袋に入れ、側にある秤に乗せ、バナナならバナナの棚に書いてある番号を押せば、値段とバーコードが印字されたシールが出てきます。・・・この日はセルデンの村をスケッチしました。


「セルデンの村」3163mのネーデルコーゲルを望む

バナナはドイツ語で「バナネン」って言うのね
(これはハルシュタットのスーパーの物)
ちなみに、ヨーロッパでは日付を
日、月、年の順番で書きます
当サイトでもこの書き方をしています。
7月9日

最初はスケッチが目的なので山に登るつもりは無かったのですが、山を見ているうちに私も登りたくなりました。ツーリスト・インフォメーションで貰ったパンフレットには、リフトやゴンドラの紹介が載っています、ゴンドラを2本乗り継いで一気に3000mまで登るコースや、リフトで2000mまで登るプランがありますが、私は2090mのホッホセルデンに登って、歩いて降りることにしました、多分その途中で良いモチーフが見つかるのでは?と思ったからです。
リフト乗り場を探していると中年のご夫妻がハイキングの格好でやって来たので聞いてみました。リフト乗り場でまた一緒に来ないかと誘ってくれましたが、絵を描くので歩いて下りますとお断りしました。ご夫妻はドイツから来られたとのことでリフトで上に登り、更にそこから上へ歩いて登り再びこのリフトで戻ってくるとのこと、つまり素晴らしい眺めの所をトレッキングするのですね。日本から来たと知ると奥さんは「ワールドカップでは良くやったじゃない」と言うので、私も「ドイツチームは凄いですね」と言うと、「私たちもあそこまで、ドイツチームがやるとは思わなかったわ!」と喜んでいました。・・・セルデンの村が標高約1370mですから1本のリフトで700mも登ることになります長い長いリフトでした、やっとリフト降り場に着いて、しばし眺めを楽しみご夫妻と「have a nice day」と挨拶を交わして別れ、私は道標に従いエーデルワイス・ヒュッテに向かいました。


草の生えた山が「ホッホセルデン」建物が集まっている所に
リフトの降り場があり、その背後に3000m級の山がそびえる。
標高2090mはここの森林限界なのかな?




セルデンのマークです。
水彩画の地名にドイツ語フォントの関係で
Seldenと書いていますが、正しくは上の
文字です、発音はバス停でお会いした方
の指導(笑)により、カタカナで書くと

セーデンでしょうか?
私には(ル)が殆ど聞き取れなく
「セーデン」と聞こえました。

たった一人での山歩きは少し不安でしたが、コースの所々にオーストリア国旗がペイントしてありコースを教えてくれます。日本でもトレッキングなどしたことが無い私でも安全に下りれましたよ。 ヒュッテが見えた時は嬉しかったですねー。一休み一休み、普段はあまりアルコールは飲まないのですが、このシーンではやはりビールでしょ!うまい
食事しながら山をスケッチしました。何処でもそうだったのですが鉛筆で描いている時よりも、水彩で描き始めると皆さん非常に興味を持たれるようです。ここでも席を立って私が描くのを見ていました、特にヒュッテの方の息子さん(中学生?)は熱心に見てくれました。帰る時ヒュッテのご主人と他の客に「アウフ・ビーダーゼン」と挨拶をして、その後ヒュッテの裏に回りヒュッテを入れた風景をスケッチ・・・・下山の途中でまたスケッチをして、5時前くらいに麓に下りたら、急に天気が変わって雨が降りだしました。山の天気はすぐに変わるのですね、途中で降られなくて良かったです。


こんなトレッキングルートを歩いて下山しました、
超初心者の私でも所々にペイントしてあるオーストリア
国旗を確認しながら、迷わずに下りられました。

エーデルワイス・ヒュッテでビールで一休み
この時食べたベーコンエッグ&ポテトは美味
しかったです、ここでもスケッチしましたよ。

Edelweisshutte (1800m)
7月10日

今日はウィーンに戻ります。2日間とも泊り客は私一人の民宿のおばさんに別れを告げバス乗り場へ。バスを待っていると2人のお婆さんがきて、インスブルックへ行くのか?と聞くので(あれは英語だったのか?)私は「エッタール・バーンホフ(駅)」へ行きますと言うと、何か言っていたが解らなかった。・・・・・・お婆さんはインスブルックへ行くのだろう、同じバスである。私はオーストリア・レイルパスを持っているので、エッタール駅で降りてそこから列車でインスブルックまで行き、ウィーン行きのユーロシティーに乗るのです。ここはチロルの山の中、ウィーンへ出るには時間がかかります。

これが泊まった民宿です

セルデン郵便局前8:50----エッタール駅9:50
インスブルック行き9:59----インスブルック着10:29
インスブルック11:29発----ウィーン西駅16:50着
(ウィーン行きユーロシティ EC565)
地下鉄と市電でスージーさん宅へ・・・・ただいまーっ。

写真はインスブルック駅にいたヨーロピアンガールズ
(学生の夏休みは3ヶ月程あるらしい)
7月11日

今日はまた美術館へ。オーストリア・ギャラリー(ベルベデーレ上宮)ここには、グスタフ・クリムトの絵がたくさんあります。クリムトの絵を堪能した私は、その後、ナッシュ・マルクトと言う市場へ行ってみました。肉屋、野菜屋、香辛料の店など、いろんな店があります。奥へ行くと洋服なども売っています、市場の外側の店には「SASHIMI・海鮮」と書いた日本料理のお店もあります、でも中を見ると経営は日本人ではなさそうです。後でSさんA氏に聞くと、ウィーンには、結構多くの日本料理の店があるが、日本人が経営している店は少ないとか。私はトルコ料理のケバブの店で遅い昼食。夕方オペラ座近くのインターネットCafeでBBSへ2度目の書き込み。

7月12日

ウィーンから約1時間のドナウ川沿いの、クレムスとデュルンシュタインの街へ日帰りで行きます。ドナウ川遊覧船が着く街です、多くの観光客は船でドナウ川からの眺めを楽しみます。先にクレムスの街を回り、デュルンシュタインの街へ向かう。
   
このイーゼルを立てているすぐ左側はドナウ川が流れています。観光地なのですぐ横の道を国内外の方がたくさん通って行きました。中には団体で私が描いているのを見物して、ドイツ語で何やら話していますが全然解りません、解ったのは「シェーン」だけでした。
右の写真はデュルンシュタインの駅。ここは無人駅でホームも土を少し盛り上げているだけなのです、列車の扉を開けると(自分で)一番下のステップが出てきて乗り易いようになります。 
ちなみにこの路線は電化されてなかったです。と言うことは、この列車はディーゼルですね。

7月13日
 暗雲目指して列車は進む・・・・・・・・・第3週を見てみる→
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